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2008.05.10 Sat 「 雪消LC 短編
突発的なノネット×ライなお話です.

設定は勿論
ノネットENDのその後.
本当はスザライのお話の一部だったのですが,,これ単独でもいけるのではないか? と思い書き直しました.
ノネットさん視点です.
お楽しみいただければと思います.


『雪消』

閉ざされた扉をノックするとき,柄にもなく緊張する.
ナイトメアで敵と死闘を繰り広げるときですらこんなに緊張することはないだろう.
顔がほてる,脈が早くなり心臓の音が煩い.
気を落ち着かせるために息を吸い,吐く.
手汗をかいた右手を持ち上げ,よしっと気合いを入れると目の前にある茶褐色の扉を叩いた.
数秒の間.この数秒が長い.
扉を叩いて開くまでの時が嫌いだ.
特区以降より儚さをました彼が夜の内に消えているかもしれない,扉を開けることができないほど人を拒絶してしまったのかもしれない.
ほんの数秒なのに浮かぶ不安は数知れず.
けれど,だからこそゆっくりと開くその扉に例えようのない喜びと安堵を感じるのだ.
「おはようございます,ノネットさん」
「おはようライ.今日もいい天気だぞ」
「そうですね.遠乗りに出掛けるには絶好の日和ではないかと思います.ノネットさんが楽しみになさっていたので本当に良かった」
以前とは違う笑みをライは浮かべる.
触れてしまえば折れてしまいそうな繊細な笑みだ.
精巧な硝子細工のような笑み.
完璧に整って美しいのに温かみがないそれ.
口調も違う.
本来は己に自信を持ち,守るべきものを守る騎士の声をしていた.
彼から発せられる言葉に皆が耳を傾け、引き込ませる力があったが,今は庭園に咲く竜胆のように柔らかくささやかな言葉を紡ぐ.
それは意識しないと聞き逃してしまいそうな存在の希薄さを感じさせる.
別人とまではいわない,だが明らかに変わってしまったライ.
それは彼の中にある「やばなにか」のせいなのだろう.
何であるのかはわからない.
ライが話したがらない以上無理に聞きだそうとも思わない.
何かが何であるのかはこの際どうでもよいことなのだ.
殺してくれと,星に託す願いのように言った少年が生きている.
生きて,笑い,共にある.
それだけで十分だ.
それに,以前の彼が全く消えてしまったわけではないことも知っている.
外聞を広めよと本宅の庭師と文通させてみたところ,思惑通りというべきか互いが互いを気に入り,長続きしているようだ.
「ノネット様がお気に召すのもわかる気が致します.この少年は物事を見通し探求する力がございます.別宅で療養されているのは実に惜しい,彼は小さな世界で生きるにはあまりに大きな器を持った方でございます」
ライからの手紙を渡すたびに庭師はそう言って残念そうな顔をした.
「書庫の本を読んでいるのだろう? どうだ? 面白いものはあったか?」
ここ2,3日屋敷の書庫に篭っていたことを思い出す.
部屋の中にも持ち込んでいるようで,ベッド脇に何冊か積み上げられていた.
「エニアグラム卿ご自慢の書庫ですよ、僕が理解出来るものなんて極僅かしかありません」
「僅かの中に何かないのか? 欲しいものがあれば買ってくるぞ」
「居候なのにそこまでしてもらっては悪いですよ。ただでさえこんなお屋敷に住まわせていただいているのに」
「それは気にしなくていいと言っただろ? 土地も屋敷も幾らでもあるからな。それに管理してもらえるのは有り難い.何より訓練の相手がいるのも楽しいしな!」
「それこそ僕がエニアグラム卿のお役に立てているとは思えませんよ.未だ貴女に勝てたためしがない」
「ナイトオブラウンズであるこの私に勝つつもりなのか?」
「やるからには負けたくないですね」
にっこりと,以前とは違うが,それでも穏やかな笑みを浮かべる.
たまらなく幸せだと感じる瞬間.
あまり表情を変えないからだろうか,ライにはいつも笑っていてほしい.
それが例え,空元気からくるものだとしても,笑ってくれることには変わりない.
なんとか説得してコーネリア殿下への連絡を入れることだけは承知したが,他の軍関係の者たちには此処にいることを伏せていてほしいと,辛辣な表情をしてライは言う.
所属していた親衛隊は元より,親衛隊になってからも交流の耐えなかった特派にもだ.
「みんなが心配してくれていることはわかっています.黙って出てきてしまったのだから…でも,居場所がわかってしまえば優しいあの人たちのことだ必ず此処に会いに来る.それでは此処に来た意味がないんです」
アスプルンド伯爵などが躍起になって探していることは遠い噂で聞いたと告げたとき,今にも泣き出しそうな顔をしてそう言った.
本当は会いたくてたまらないというのに,それを健気と言ってもいっていい方法で押しとどめている.
「あそこにいらしたのがノネットさんだったから今,僕は此処にいるんです.そうでなければ死んでいた.だから,いいんです」
それはきっと限りなく事実に近い仮説なのだろう.
それだけの覚悟を持って,ライは己の命を捨てようとしていた.
捨てたくて捨てるのではなく,守るために捨てる.
その決断を躊躇いもなくできるようになるまで,彼はどれほど苦しんだのだろう,悩んだのだろう.
たった一人で.
そして今も一人で思い苦しみ悩んでいる.
誰かに相談し,頼るという選択肢が彼の中にないのは何故だろう.
世界の不幸を抱え込み孤独であろうとする少年をどうにか救い出したくて強引に屋敷に連れ込んだが,未だ活路は見えずにいる.
もっと人を頼ればいいものを,人に頼られることにばかり慣れてしまっている少年は決して甘えようとはしなかった.
「土を……」
思考に耽っていて思わず聞き漏らしそうになった声に注意を向ける.
言おうか,言わまいか悩んだそぶりを見せているライを促すために笑って先を促した.
彼の声は一つも聞き漏らしたくはない.
「何だ?」
「先程お聞きになったでしょう? 面白い書物はなかったかと」
「ああ、聞いたな」
「……土いじりに関する資料を読んでいます。今までやってこなかったので、とても興味深いです」
少し,恥ずかしげに.
少し,反応をうかがう様に.
そしてとても楽しげに言ったライ.
一瞬目を奪われる.
この少年が,こんな表情をしたのはいつ以来だろう.
伏せ目がちな瞳の奥にはっきりとした光がある.
過去を振り返っているのでもなく,現在を嘆いているわけでもなく,未来への希望をまっすぐ見据えた瞳.
それは,雪解けとともに咲き乱れる花のように,懸命で力強い輝きがあった.
「そうか、やりたいことが見つかったか!」
「やりたいこと…とまではいいませんが……、そうですね、やってみたいとは思います.それよりも,ノネット…さん,いた…痛い,です」
「いいぞいいぞ、その意気だ! 裏手の土地に畑を作らせよう、種も直ぐに用意させる。トマトやなにかがいいだろう、食べれるしな! この辺りは気候も穏やかで何かを育てるにはもってこいだぞ!」
ライの背中を叩くと,彼はよろめきながらもしっかりとそれを受け止めた.
あぁ,なんていい日なのだろう.
天気は良好,遠乗り日和.
それに何よりライが己の区切りをつけた日.
これを喜ばずに何を喜べというのだ.
ライがやめてくれと懇願するまで背中を叩き続けた.
今まで一人でがんばってきたことへの労わりと,これからへ向けての激励を込めて.
それがライに伝わったかどうかは別として,嬉しかった.
ただひたすらに嬉しかったのだ.

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